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かめわざ語録

かめわざ語録



●かめおかゆみこに直撃インタビュー●
「かめわざ快心塾にいたるまで」
聴き手/すがのかよ


【原点は大自然?!

すがの 
 かめおかさんのプロフィールを見ると、「オホーツク出身」って書いてありますけど、「オホーツク」なんて地名、ありましたっけ?

かめおか
 父の仕事の関係で、オホーツク海の沿岸の町を転々としたので、そう書いたの。でも、向こうの人たちは、自分たちのことを、「オホーツクっ子」なんて、けっこう呼んだりしてるんだよね。

10キロ以上つづくまっすぐな道路があって、地平線があって、
正面にズドーンと斜里岳が見えて。あとは、土手の向こうにオホーツク海。

 子どものときは、外しか遊ぶ場所がなかった。家の裏の林とか、川とか、裏山とか。
今みたいに遊具があったり、アスレチックがあったりとか一切なくて、土があって、山があって、木があって、川があって…、それだけ。
だから、木にも登ったし、川で泳いだし(はまったし)(笑)、草をむしったり、花を摘んだり、土を掘ったりもしたし。
何もないところで遊ぶのが遊びだったの。そこにいることがもう遊びなんだよね。

 父が、営林署といって、植林を管理する役所につとめてたのね。
だから、住んでいるところは、田舎も田舎。
記憶にないけど、私が一番小さい頃に住んでいたところは山の中で、冬には町にスキーで買い出しにいったって。(笑)

 物心ついた最初の記憶でも、隣の家は、何十メートルか先に3軒か5軒。
さらに離れて1軒。そういうところだったのよ。

すがの
 じゃあ、学校も離れていたんですか?

かめおか
 距離は、1キロ半か2キロくらいなんだけど、学校が終わると、ほかのみんなは、町に向かって帰るんだけど、私と妹は山に向かって帰った。(笑)

だから、子ども同士の遊びの集団が成立しにくいのね。
いても、せいぜい2人か3人。5人くらいが上限だったし。それも年下の子がほとんど。
そのせいもあって、私は、わりと1人で遊ぶことが好きになっていったのね。
妹が小さかったときは、妹と遊ぶくらいで、あんまり集団で遊ぶことはなかったなあ。



演劇との出会い】

すがの
 かめおかさんは、今は演劇を主体にしていろいろ活動をされているんですね。

かめおか
 正確に言うと「演劇的な要素をベースにして」ですね。

すがの
 演劇との最初の出会いはいつですか?

かめおか
 最初の出会いは、小学校の学芸会。学年劇でね。
 1学年100人くらいいて、学年ごとに、器楽か演劇かお遊戯のどれかを発表するわけね。
私は、2年生のときに初めて劇に出たのね。
『えびのしっぽはなぜ曲がったか』っていう脚本だったと思うけど、そのときの私の役は、波の精で、セリフは一言もなし!

すがの
 一番後ろでゆらゆら揺れている役ですか?

かめおか
 そう、こんな感じ。(かめおかさん 全身を使って、ゆらゆら漂うような動きをする)

 そのあと、5年生のときに再び劇が回ってきたんだけど、そのときも花の精で、やっぱりセリフが1つもないの。
すごくがっかりしちゃったね〜。
あのころは、学級委員とか、頭のいい子が主役に選ばれてたんだよね。
だから、私は、×。(笑)

 私が子どもの頃は、小学校の国語の教科書に、戯曲教材や狂言が載ってて、儒教の中で、実際に声に出して読んだり、グループごとに分かれて、簡単な動作を入れて表現するみたいなこともやってたの。
 そういう意味では、授業の中ですでに劇にふれる機会があって、すごく好きだった。

 なのに、学芸会では、まったく役に当たらないわけ。
でも、好きだから、自然にパフォーマンスが大きくなるわけ。
 そうすると目立つから、稽古の途中で先生の目に留まって、波の精の中でも、先頭になって、最初に舞台に出ていけるわけね。
 
ところが、先頭っていうことは、最後に全員が舞台で横一列に並んだときに、逆に、舞台の端っこの位置になっちゃうわけ。
 そのとき、たまたま、袖幕が顔にかかったんだと思うのね。
「あ、顔が見えなくなる」って思ったらしくて、頭をななめに曲げて、袖幕にかからないようにしてる写真が残ってるの。

 ある意味、役者魂っていうか。でも今見たら、めちゃくちゃかっこ悪いし、恥ずかしいなって思うんだけど。(笑)
そういう意味では、当時から、目立ちたがり精神旺盛な子だったかもしれないですね〜。



【居心地のいい場所】

すがの
 じゃあ、中学校に入ったら、迷わず演劇部に入部されたってことですね。

かめおか
 小学校のときから、中学校に入ったら演劇はやりたいと思ってたのよ。
 私の住んでた地域は、たまたま演劇教育が盛んで、演劇を通して、子どもたちの表現力を育てたり、コミュニケーションの力を育てる活動をしている先生たちが、何人もいたの。
そういう活動の中心になっていた先生が、私が入学した中学校にずっといらしたのね。
残念なことに、私が入学したその年に、転出されてしまったんだけど、
 
 それでも演劇部はその名残が色濃く残っていたから、ものすごく元気な活動をしてたの。
十数人の、そんなに大所帯じゃなかったけど、活動は活発だったから、1年生のときから、やるべき仕事も多いわけ。役者もやるし、裏方もやるし。

 5月のGWに、町内の僻地の小学校を廻って巡回公演をやって、子どもだけでなくおとなの人にも見てもらったり、夏休みには、ちがう町まで出かけて、地域の小・中学校の演劇部、演劇クラブが年1回集まる発表会に、参加したりしてた。

 その夏休みの発表会は、「オホーツク子ども劇場」というのだけれど、そこではじめて、よその学校の舞台を見たときに、ものすごく感動してね。
 同じ地域に、こんなに演劇が好きで、こんなに目をキラキラさせてやっている
仲間がいるんだな。
 自分の学校以外にも、同じことに夢中になっている仲間がいるんだなって。
 もう、嬉しくって嬉しくって、帰りのバスの中で涙が出てきたのね。

 今も話してても、その当時のことを、まざまざと思い出すんだけど、それが、本当に演劇にのめりこむきっかけになったのかも。

すがの
 演劇が性に合ったんですね。

かめおか
 もともと、空想癖が強い子で、現実と空想とが、ごちゃまぜになっちゃうところがあったの。
小学校3年生のときの夏休みの絵日記で、嘘、書いてるのね。
「今日は大変な日だった。朝から雨が降って、雪が降って、雹が降った」って。
いくら北海道だからといって、夏休みに雪降りませんって。(笑)

 だから、日常生活の中では、ちょっとうまくいかない部分もあったわけ。
友だちとの関係が、スムーズにいかないっていうか…。
表面的には問題ないように見えても、自分の中ではどうも何かがズレている。
自分はひとりぼっちだなあっていう気持ちが、ずっとあったんだよね。
だから、演劇の世界は、私にとって、居心地がよかったんだと思う。

すがの
 演劇の世界では、自由に自分を表現できますものね。

かめおか
 やりたいことがやれるし。それをまた認めてももらえる。
 ふだんの生活って、突出しちゃいけないみたいなムードがあるけど、演劇の世界では、逆に、思い切ったパフォーマンスをしたほうが、評価してもらえる。
 あと、自分を解放してくれるところでもあるよね。それこそ、どんな自分にもなれるわけで。

すがの
 自分と違う人間を表現するっていうことを、みんな恥ずかしがったりためらったりしますよね。そういうのは平気だったんですか?

かめおか
 うん。平気だった。もともと空想の世界で生きていた子どもだから。(笑)
演劇はね、何がおもしろいかっていうと、どんな役にも変身できるところなんだよね。
役をもらったときに、その役って、絶対に自分とはちがうわけじゃない?

すがの
 じゃあ、自分と全くちがう役をしたほうが楽しい?

かめおか
 楽しいですね。悪役でもいいね。人によっては、悪役を嫌がる子もいたけど。(笑)
私なんか、うんとちがうことをやるのがおもしろい。
自分じゃない自分になるのがおもしろい。



【表現するということ】

すがの
 今、かめわざワークで「からだ」に焦点をあてているのも、やっぱり演劇の体験からの影響が大きいのですか?

かめおか
 からだの問題はね、竹内さんと出会ったから、ひらけたのよ。

すがの
 竹内さん?

かめおか
 竹内敏晴さん。「からだとことばのレッスン」と呼ばれる独特のワークを開発した人。
 今では、演劇よりも、教育関係のほうで、知っている人のほうが多いかもしれない。

竹内さんは、子ども時代に難聴で、耳がほとんど聞こえない時期を体験してるのね。
それが、18歳のときかな、新薬の発明で一時的にちゃんと聞こえるようになった。
そのとき、私たちが当たり前だと思っている、「聴く」「聞こえる」ということに、疑問をもったんだよね。
自分の言葉が相手にどのように伝わっているのか。
相手の言葉が、本当に、その通りに自分に伝わっているのかって。

 だから、「ことばって一体何だろう?」「からだとことばの関係って何なんだろう」
ということを、自分自身を、ある意味、実験台にしながら検証していったんだよね。

すがの
 よくわからないけど、すごそうですね。

かめおか
 ちくま文庫から「言葉が劈(ひら)かれるとき」という本が出ていて、その本を読むと詳しく書いてます。これはオススメ!

私が竹内さんと出会ったのは、東京に出てきてからの大学時代で、日本演劇教育連盟の機関誌(月刊『演劇と教育』)に、記事が載ってたりしたんだよね。
「この人、すごい人だな」って思って、この人の講座はぜひ受けたいと思って、
演教連が主催した、夏の全国集会での講座を受講したのが最初だったのね。
  
そのあと、竹内さんが主催する「からだとことばの教室」に通うようになるんだけど。
ものすごいカルチャーショックを受けるわけね。
たとえば、「声かけのレッスン」というのがある。
今話している声が、本当に相手に届いているの? ということを確認するわけ。

何人かの人が、後ろ向きにバラバラに座って、少し離れた位置からその背中に向かって
「こっち向いて」って、声をかけるのね。で、「私が呼ばれた」って思う人が手をあげるの。

すがの
 当たるんですか?

かめおか
 当てることが目的というよりは、私たちがふだん、音さえ出せば声になって届くと思いこんでいることを、そうじゃないんだよと、感じて、気づいてもらうことが目的なんだと思うんだよね。

声というものは、生きものと一緒なのね。
自分の思ったように届いていないとか、受け取っていないとか
さらには、自分が声に対して、どれだけ無自覚だったかということに気づいていく。

声が相手に届く前に、手前に落ちちゃったとか、通り越しちゃったとか、カーブしたとか、ぶつかったとか、いろいろなことが起きていることにワークを通して気づいていくわけ。

耳だけ、頭だけで声を聞いている人は、音が聞こえたから聞こえるって思っちゃうんだけど、そうじゃない。
本当に声って、いろんな様相をもっている。それを、からだを通して聞き分けていく。

すがの
 かめおかさんは、子どもの頃から、朗読とか表現とか、ずっと興味がおありでしたものね。

かめおか
 うん。ずーっと好きだった。
でも、竹内さんと出会って、自分が今までやってきたこととは全くちがう、新しい世界を知ったわけ。

それまでは、きれいに読めば朗読だろうっていう認識しかなかった。
演劇をやってきたから、ある程度、感情を入れて読んだりすれば、
伝わるんじゃないかと思っていた。
その自信が、竹内さんの教室に出ると、もうガラガラと音を立てて崩れていく。(笑)

すがの
 今まで一生懸命にやってきたことだったら、なおさらショックは大きいですよね。

かめおか
 そう。今まで気がつかなかったことに、否応なしに気づいていく。
それが、カルチャーショックなんだよね。

自分が当たり前だと思ってたこと。疑問にも思ったことがない。問い返してみたこともない。
そこに、メスが入るみたいなものだから、
えーー? 自分は今まで何をやってたんだろう、っていう、そういうショック。

すがの
 じゃあ、その教室には、熱心に通われたんですね。

かめおか
 ちょうどその頃、大学時代の演劇仲間との間に、演劇観のズレを感じていて。
もう一緒にはやれなくなって。
自分自身も、自分の演劇観を、0から見直さざるを得なくなった。
 本当に、足もとが見えなくなったというか。自信も何もボロボロに崩れてしまって。

それまでは、「演劇が好き」というだけでやってきたんだけど、もう、何をやっていいか
わからない。
 そんな時期だったから、普通の演劇の研究所に入ってもダメだなって思った。
 もう1回出発するためには、原点に返らなきゃいけない、演劇よりもっと以前のところに戻らなきゃいけないって、そう感じていたときに、竹内さんの「からだとことばの教室」に出会った。そのタイミングもよかったんだね。
  
竹内さんの教室に参加するうちに、自分の感覚にどんどんナチュラルになっていった。
頭で信じたことや思いこんでいたことが、ちがうんだなってことがわかってきたの。

すがの
 そこから役者を志そうとは考えられなかったのですか?

かめおか
 そうだね、なぜか役者になろうとは思わなかったんだよね。
子どもたちに、表現力をつけるような活動もやってみたいという気持ちがあって、そっちのほうが強くなっていたのかな。

 大学在学中に校正のアルバイトをした出版社に、卒業後、長期アルバイトで入って、雑誌編集の仕事を何年かやって、そこを離れたときに、知り合いの中学校の演劇部の先生から、外部指導員のお話をいただいたの。
そこで何年かやっているうちに、少しずつ、別の中学校からも声がかかるようになって。
さらに、学校の先生対象の講習に来てくださいとか、発表会の講師をしてくださいとか。
そういう仕事が少しずつ増えていったんだよね。



【かめわざワーク】

すがの
 そこから、今やってらっしゃる「かめわざワーク」には、どうつながっていくんですか?

かめおか
 そこに行く前に。
まず、2000年の10月に初めてパソコンを使い始めたんだけど。
本当はね、あんまり積極的には、やりたくなかったんだよね。
だって、当時、使っていたワープロは、編集機能が超スグレモノで、充分に間に合ってたし。
でも、仕事柄、使わざるを得なくなっちゃって、仕方なくね。(笑)

 ところが、いざやってみて気がついたんだけど、私のまわりには、すでにHPを作っている友だちが何人もいたのね。
HP作成だけじゃなくって、プログラマーやってる友だちもいた。
で、どんどんおもしろくなってきて、彼らにいろいろと教えてもらって、2001年の6月に、自分のHPを作ったわけ。

すがの
 現在の『かめわざ快心塾』の前身ですね。

かめおか
 それと同時に、メールマガジンを発行し始めた。それは週刊で演劇教育の専門メルマガ。
今は『生きるとは表現すること』っていうタイトルだけど、当時は『ドラマ教育ネット』。
ドラマ教育を発信するネットワークをつくる、発信地点になりますよという意味。

それから、2003年5月に楽天に参入したんだよね。

すがの
 ブログを作り始めたってことですか?

かめおか
 そう。まだ2003年は、ブログじゃなくって「楽天日記」だったんだけどどうせやるなら、テーマ日記にしようと思って、
「視点を変える」をテーマにして、『今日のフォーカスチェンジ』という名前にしたの。

それで毎日書いていたら、「この日記、おもしろいから、メルマガにしたらいいよ」
って言ってくれる人たちがいたの。
そのころには、5か月分のストックがあったので、日刊で出しても大丈夫かなと思って、日刊のメルマガ「今日のフォーカスチェンジ」をスタートしたわけ。
それが2003年の11月。

メルマガをすでに発行している友だちが、いろいろ教えてくれて、「こうやるんだよ」と言われたとおりにやったら、新着メルマガの中で読者数がトップになっちゃった。

そうなると、また「まぐまぐ」さんの紹介記事で取り上げられて、あの頃は1日単位で、何十人と一度に増えていって
あっと言う間に2000人を突破したんだよね。
それからも、ちょっとずつ増えていって、今は約4700人。

すがの
 このときすでに、表現とコミュニケーションのワークショップはされていたんですか?

かめおか
 最初の段階では、まだそんなにたくさんはやっていなかったね。
でも、やりたい気持ちは十分に持ってたので、2004年になって、とにかく今年は全国的にやろうと決めたの。
今年1年は、どんなに人が少なくても、赤字になってもかまわないから、やる。
 
で、メルマガやブログで、「私はワークショップをやります」って発信したのね。
とにかく1か所でも多くやろうと決めたわけ。

実際、知名度も低いし、何やるかもよくわからないしで、人が集まらなかったりして、その年は、本当に赤字になっちゃったこともあります。

でも、やっているうちに、メルマガを読んで共感してくださった方や、その方のお友だちつながりで、あちこちでワークショップをひらいてもらえるようになってきたの。
友だちのメルマガ発行者さんたちも応援してくださったしね。

そしたら、次の年、2年目も同じところから呼んでもらえたりして、集まってくれる人も少しずつ増えてきた。

3年目の2006年や次の年の2007年は、かなり周知されるようになってきて。
今やっと、安定的に、一応、全国的にワークショップをひらけるようになって、依頼されるケースも増えてきた。という感じかな?

すがの
 最初の頃から、内容は、インプロ(即興演劇)のワークだったのですか?

かめおか
 それもあったけど、今よりは、まだまだ全然不器用だったなあ。
やっていることは基本的には同じなんだけど、あのときは、手持ちのネタを使ってたの。
どういうことかというと、本を読んで仕入れてきたり、覚えてきたもの、教わったものを組み合わせてやっていたってこと。
今は、覚えているものも使うけど、その場に集まった人たちの状態を見て、その場の印象で、一瞬で決めてやってる。

だから、結果的にインプロゲームかもしれないけども、本に書いてあった通りとか、だれかに教わった通りじゃなくて、今この目の前にいる、この人たちのからだから、何を始められるだろう? 
ってことを感じとることから出発している。

それが結果的に、インプロかもしれないし、イメージワークかもしれないし
あるいは野口体操からヒントをもらったものかもしれないし、っていうこと。

「かめわざワーク」っていう名称を使うのはそういう意味。
今は、インプロだけじゃなくて。すべてを、かめおか流にやらせてもらってます。

すがの
 こうやって、お話を聞かせていただいていると、なんかスムーズですよね。
 実際は紆余曲折があったかもしれないですけど。

かめおか
 いやいや、紆余曲折ありまくりでしたよ〜。(笑)
ただ、思うに、私がたぶん他の人とちがう部分があるとすれば、衣食住にほとんど興味がないということだと思うのね。
あと、貯金にも興味がないし。
別にお金を儲けなくてもいいと思っているんじゃなくてね。
自分がやりたいことをやっていると、それだけで完結しちゃうんだよね。

だから、いいもの食べたいとも思わないし、きれいな服も着たいとも思わないし、いいうちに住みたいとも思わない。
好きなことをやっているだけで幸せなので、それ以上のことがいらなくなっちゃうのよね、結果的に。

で、結果的に、貯金がなくても何がなくても、全然不安にならないの。
今、生きていることで全部オッケーだから。

でも、たぶん、他の人が私と同じ生活をすると、とっても不安だと思いますよ。
あはははは。



【かめわざパワー】

すがの
 これから自分の道を探していくであろう人たちに何かメッセージはありますか?

かめおか
 その瞬間、瞬間の自分を信じること。

すがの
 瞬間ですか?

かめおか
 生きていく上で、迷ったり悩んだり、ときには自分が信じられなくなったりとか。
そういう感覚もすごくよくわかる。私自身、体験してきたことだから。
 
でもね、先を考えたり、過ぎてしまったことを考えたり、まわりの人との関係をあれこれ考えても、どうにもならないんだよね。
今ここにいる自分を、常に新しく新しく生きていく以外にないわけよ。
そして、そうすると、いつか必ず未来がひらけてくる。

 過去は思っても仕方がないよね。
どんなに失敗だったと思っても、もうそれはいいんだよ。終わったんだから。
 未来だってまだ来ない、何が起こるかわかんないから、考えたって仕方ないじゃない。
 予定立てたって、何が起きて崩れるかわからない。だから、先のことも考えない。

 まわりの人にどう見られるかとか、何を言われるかとか、そういうことも、
 その人があなたの面倒を一生みてくれるのであれば、まあ考えてみてもいいけど、でも、自分のことは、最後は自分でしか責任を取れないんだから。
だったら、そんなことは気にする必要がない。

 そうやって、過去と未来とまわりに注ぐエネルギーを、全部自分に集めたら、自分のテンションがものすごく高くなるんですよ。
エネルギーがすごくアップする。
そしたら、今までできなかったことができるようになる。

 それからね。たとえば、今日、人とけんかしたとか、傷つけあったとか、すごく失敗したと感じることがあったとするでしょう?
 でも、それが本当の失敗かどうかって、未来にならないとわかんないよね。

 私も、人間関係がダメになって仕事をやめたことがあって、その渦中にいたときは辛かったけど、今振り返ったら、あれは、本当に失敗だったんだろうか?って思うのね。
今、こうして生きている自分を考えたら、失敗かどうかもわからないよね。 

すがの
 今のほうがよかった?

かめおか
 どっちかなんてわからない。それがどうであったか、決められるのは死ぬときだよね。
 死ぬまで絶対決められない。だったら、この生きてる間に決める必要はないわけだよね。

合ってるか間違ってるかなんて、どうでもいいことで。
とにかく、今この瞬間、100%、自分がやろうと思っていること、やりたいと思っていることをやりきって、終わらせていく。
 そしたら、次の日になったら、次の自分が生まれているんだから。

すがの
 長時間、どうもありがとうございます。


★インタビュアー・すがのかよさん(快適生活
メルマガ「幸せ体質♪健康体質♪〜快適生活」発行

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